連載終盤二題

熊谷達也「リアスの子」第10回
「仙川海」(気仙沼)一望

小説宝石(光文社)での熊谷達也さん「リアスの子」と小説現代(講談社)での林真理子さん「お父ちゃんのこと」の連載は、それぞれ昨年の秋と暮れにかけてのスタートでしたが、だいたい一年の予定で進んできています。

どちらも物語は佳境。とくに熊谷達也さんの「リアスの子」は、今回で三作目となる同じ主人公の連作で、先行して進む作業はついに最終回の挿画を描き終えました。

連載に絵を添えるのは、お話の展開に連れてこちらの脳内情報も充実するので、後半になるに従ってその物語の世界が乗り移り、まるで小さいときから知っている親戚の顔を描くように身体に備わった絵になってきます。

やっと馴染んできたころには終わってしまう運命で、いつも連載の終盤にはとても切なくなります。

考えてみればこんなことのくりかえし。連載なんか恵まれてる仕事で、普段は一回こっきりの勝負。

それをたいへんな生き方だと上段に構えて考えない性分の人間でなければ、とっくにこころが持たないんだろうと思います。

人間だれでも、楽な道のほうに流れてしまうものなんだろうと思います。

たいへんな修行の道を選ぶ人もまた、たぶんそれのほうが楽な性分なんだと。

おれは不幸だと酒飲んでる人もまた、それが楽なんだろうと。

ものすごいカネと引き替えに孤独な道を選んだ人が、ふっと寂しそうに「おまえがうらやましいよ。」とつぶやくのも、そういうのが好きな性分なんだと。

戦争や、災害。どうしようもないように思える力に押し流された時も、ひとはやっぱり、選べる中で楽な方に向かうのだと。

違うと思う道には、抗って生きるのが、ぼくには楽なみちかもなぁと、やっぱり連載が終わる頃になると、どうしてもへんてこなことを考えてしまうぼくは、ひょっとするとこういう職業に向いてない?

んにゃんにゃ!ぶるるっ!

 

 

画像は熊谷達也さん「リアスの子」第10回の挿画。最終回のひとつ前です。